”原始の純粋さに誠実であれ”との思いから。佐藤継雄は、
彼が持つこの世界の詩的イメージから映像を作り上げていく。
そのとき彼は、生命の中のありふれた些細なことにある、
現実離れした遊戯精神に、その決然とした眼差しを向けてこう言う。
「有名な童話 <裸の王様> に登場する子供のように、
心が純真でなければ物事を素直に見ることはできないと思う」と。
佐藤継雄は、演出家のように、自身の作品を
あたかもたとえ話のように構成していく。
その為に、テーマを画面の中心に据え、
その物語を作り上げていくが、
そのとき生き生きと赤みを帯びた象徴的人物や花々、蝶々
もしくは物語を支える幾何学模様を言語として用いる。
ある意味、彼の作品は魔法の呪文や、
物事のうわべの単純さの向こうに透けて見える
秘められたメッセージを包含する曼荼羅や、童話
もしくは 寓話の中のように動き出す。
かくして、「変人」というタイトルの作品を例にあげれば、
そのテーマに対して彼はこう述べる。
「絵の背景に書いてある文字の意味するところは
<ぼくは自分の変人さに気がつかない。
ぼくは根拠もなく普通だと信じている> ということだ。」
このことは作家の活動の中心が哲学探求であることを物語っている。
つまり、彼は今日の世界や我々一人一人の内部に存在する
対立・矛盾を懸命に示そうとしているのだ。
そして、彼は仏陀についてこう語る。
「釈迦は悟りを求めたのではなく、
人間としての生き方を求めたのだという」と。
さらに、仏をイメージしたと思われる作品
「不動さんの”怒り”と”慈しみ”」の中で作家は、
「簡単なことでもきちんと行動することが大切だ。」
というメッセージを刻み付けた。
このメッセージによって彼が我々に理解させたいこと、
それは 「もし人がさらに上位の思索に至りたいと望むときには、
生命を構成するすべてのことと
完全に調和することが我々のなすべきことである。」と
いうことであろう。
佐藤継雄が現代に流れる時間から
インスピレーションや影響を受けなかったとしても
彼は同じ青森出身で、現代日本の著名な芸術家の一人である
棟方志功から大きな感化を受けた。
彼は称賛と尊敬の念をこめて、志功のことを <心の師> と呼ぶ。
佐藤継雄の作品は彼の絵画に純粋さを取り戻すための源泉として、
そして混沌とした現代社会に立ち向かう有効な抵抗手段として
観ることができる人々に対して、影響を及ぼすであろう。
フランス雑誌 「UNIVERS DES ARTS」 掲載内容